合気道の開祖植芝盛平翁
植芝盛平翁は1883年に和歌山県田辺市元町(旧・西牟婁郡西ノ谷村、現・田辺市上の山)に生まれた。若い頃から相撲や剣術、槍術、棒術、色々な流派の柔術など、様々な武芸を学んだ。その中でも特に、柳生心眼流と大東流の修行に励んだ。
翁先生は、20世紀の最も激しい紛争であった太平洋戦争を頂点とする紛争期を日本が経験するのを見た。この時期に翁先生は合気道を確立し、そして合気道は世界の人々を和合させる方法だと宣言した。
開祖の見事な武道の技術とカリスマが、軍の高官や、政府の役人、皇室からの力強い支持を与え、1969年に他界した後、 翁先生の類のない貢献を称する正五位勲三等瑞宝賞が贈られた。
翁先生の武道に対する普遍的な知恵と洞察は、すべての生徒に開かれていたため、合気道は世界的に広まった。武士のもっとも崇高な哲学と生き方が世界的な文化の一部となり、様々な国や文化圏の多くの人びとの精神を高める助けとなった。これは植芝盛平翁先生が与えた革新的な影響によるところが大きい。